我々はどう生きるか
AI時代に音楽を生活の一部にするということ
久しぶりの投稿です…
花粉も飛んできてしんどいですねえ…皆さん、いかがお過ごしでしょうか。
去年からずっとやりたいと思っていたことを始めることにします。
テーマはド直球…
我々はどう生きるか。
無理ない暮らしというテーマでずっとブログは書いてきました。実験をずっとしてきたわけですね。
無理ない暮らしをするための私の試みがこのブログ。どんなに音楽の分量が多かったとしても、一貫して生活ブログでした。私の意識の中では…
https://murinaikurashi.com/post-27511/
去年一年はデジタル百姓というテーマを考えてきた。これについてはある程度結論が出た。
身体のことを考えると家の中で働くことは変わらないんですけど、それだけに限定しない。
コロナ以降はとにかく、オンラインですべて完結することを考えてきました。
私の仕事の比率としてはずっとオンラインの仕事は多かったんですけど、AI時代に人間が無理なく生きるにはどうするかを深く考えて実践したい。
もう一度リアルなつながりを重視したいということですね。日本をパッド大国にすると。
自分は外部環境の変化で、仕事やスキルをその度に付け替えながら生きてきた。音楽だけはなんとか手放さずに生きてきました。
自分は局所最適が得意だったから、大局では常に敗れた。負けまくり人生です…
音楽、翻訳、受験生を教えること。あ、結婚生活もそうですね。
いわば、敗北のエリートと言えましょう。
まあ、ボンクラですね…
今までだったら、イノベーションが起こる度に労働人口の移動が起こってきた。
人が人である意味があった。AIのこの時代はハッキリと違う。人間が働くことが倫理的ではなくなるかもしれない。
人間よりAIがうまく出来るのは別に大したことでは無いと思ってます。
それなら人間しか出来ないことやればいいだけですから。
でも、人間がやることが非効率だから、エネルギーを使って倫理的ではないとなったらどうか?
学ぶこともエネルギーを使うから倫理出来ではないとなったら?生きる意味が問い直されるはずです。
完成させることや完全なものの価値が急速に失われつつある。
効率や完成を求めることが、人間を阻害する。
平均への回帰がすべてが起こる中で、主体的に生きることが出来るのか。
そもそも、主体性など必要ないと社会がなりつつある中で、どう生きるのか。同時代的なテーマではないかなと。
価値は希少性によって決定させるのは変わらないのなら、もう整ったものの価値は減るというかなくなっていくでしょうね。完全さに飽きます。限界効用逓減ですね。
もう、AI文章や、AI動画、AI音楽に飽きてしまった。
かつて可能性があると思ったものがことごとくつまらなく感じる。もはや誤字がある方が嬉しい感じがしません?
うりなみさん、誤字が多いことを正当化してないって?すいません…
AIが普及することで最も大きな変化は圧縮される事なんでしょうね。時間が。
時間が圧縮されるということは価値の転倒が起こる。
完成に価値がなくなる。価値の厳選は、労働量の投下。
古典的な労働価値説みたいなのに回帰するんじゃないか。
つまり、時間とコストを掛けることそのものが価値が生む。オーバーヘッドにも価値が生じる。
過程と不完全さに価値が生まれる。
高性能なものならAI選べよ。という時代はもう来ると思います。
んじゃ、人間がやる意味となるとナラティブになりそうです。そうすると、それもまた地獄ではあるんじゃないか…
社会の成員全体が、権威にすがる。我々は物語でしか理解できないかもしれないけれど、でも、そうでないやり方はないか。誰もが気軽に語り、そこから退出も出来る。アソシエーションが今また、必要とされてるんじゃないか。
んじゃ、どうするか。
成員全体の効用関数を最大化するようなこと。倫理と経済を一致させることかもしれない。
言い換えれば、「効率」という物差しに対して逆走することやろうと。
音楽を生活の一部にすることに価値を見出す場所を作っていくことではないかなと。ナラティブだけで価値が決定されるのではなくて、そういう場所があれば、少しは違うかもしれない。抗いたい。
単純にパッドフレンズのみなさんに私が話を聞きたいだけといえばそれまでです…自分の知っている人の話を聞きたくないですか。私は聞きたい。
デジタル百姓として一人で完結する実験には、一定の結論が出ました。
まあ、初めからスキルをバーターしたりすることは考えていたけれど、もっと効率的に非効率を追求したいなと。歪みを増幅させる。まあ、あんた初めから歪んでるじゃんと言われたらそれまでなんですけどね。
AIによって時間の圧縮が起こることでの中で、自分一人のナラティブに閉じこもっているのは、面白くないなと。ファンキーではないです。
で、いままでやってきたことをもっと突き詰める。音楽を生活の一部にするということを、もっと色んな人に話を聞いたり、やってみたい。
今までも、Ableton友の会やパッド研究会、HPSとやってきて、今もやっている。これをもっと突き詰める。
プロとして大成するとか、何万再生されるとか、コンペで勝つとか。そういうものは誰かがやるでしょう。
私がやりたいのは生きることと音楽を切り離さないでどう生きるか。答えはない。それぞれが答えを持つものと言えます。
私の仲間や、自薦他薦を問わず、このAIの時代にそれでも音楽をやりたいと願う人たちと話し、やっていきたい。
皆さん、覚悟してくださいね。今年は軽挙に動きますよ。フフフ…
「無理なく生きる」ことなんて出来ない。生きることは無理でしか無い。結論は出た。でも、限界がないという意味の無理なく生きることは死ぬ一秒前でも出来る。
完成は意味がない。
でも近づこうとすることに意味があるのならば、この試みは既に成功していると言えます。
詭弁やな…
まずは、自分のパッドフレンズたちから。
自分たちが欲しい道具を作ろうとしたら、採算が取れないようなものになってしまった話とかね。
あと、AI時代のいい面にも目を向けたい。
パッドのWebアプリなんか今までだったら採算を考えたらとても作れなかった。でも、今なら勉強は必要だけれど、作れますしね。
https://note.com/urinami/n/nae1332622c2b
もし「自分の話を聴いてくれ」という方がいたら、ぜひ連絡をください。飲みながらでもお話しましょうか。
誤字も、迷いも、オーバーヘッドも。あってもいいじゃない。にんげんだもの…という怒られそうなフレーズで今回の記事は締めます。
これからの無理ない暮らしはやっていきます。生き延びましょうね。
あ、ブログが手紙であるというのはずっと言ってきたわけですけど、それならメルマガにするべきやなと思いました…
よろしければ。HPSの連絡とか、あとオンラインのパッドのセミナーとかね。時間が急にできたときなんかは、XやDiscordでは連絡しているんですけど、noteの掲示板が機能してないので。メールなら届くだろうなと。
メールいただければというのもあります。メールで記事も書きますしね。
2026年、AGIが現実になりつつある時に、メルマガはじめました!というのはファンキーでいいでしょう…

